久保会長がサンフレッチェ広島の社長に就任した経緯
サンフレッチェ広島会長の久保允誉氏は1998年6月にサンフレッチェの社長に就任しています。
就任直後の1998年(平成10年)7月1日付の中国新聞に1本の記事が掲載されています。
その記事を通じて、久保会長がサンフレッチェの社長に就任した当時の状況について皆様に知って頂きたいと考え、この文章を投稿いたします。(なお、引用部分はすべて1998年7月1日付中国新聞の掲載記事より一部抜粋したものです)
1998年(平成10年)7月1日付で中国新聞に掲載された記事の見出しはこのようになっています。
サンフレ社長 久保氏就任
マツダの支援不可欠
地域一体で赤字解消を
何故、「マツダの支援不可欠」となっているのでしょうか。
サンフレッチェ広島の前身がマツダサッカークラブであることは良く知られた話ですが、そもそも1992年にJリーグが発足する以前には、マツダはJリーグへの参加に後ろ向きでした。これは、マツダがプロのサッカークラブ経営のための財政負担を恐れたたためです。
Jリーグが発足する前年の1991年に広島県サッカー協会、地元経済界、広島県知事などの働きかけにより、マツダはJリーグへの参加を決めました。
なお、「広島にJリーグのクラブを」と熱望する関係者を代表し、当時の広島県知事竹下虎之助氏がマツダの古田徳昌社長(サンフレッチェ広島初代社長)と会談を行い、その翌日にマツダはJリーグへの参加を正式に表明しています。
このような経緯もあり、1992年にクラブが設立された当初、サンフレッチェ広島の筆頭株主はマツダでした。
それが、1998年には何故「地域一体で赤字解消」を図る必要があったのでしょうか。その理由は、記事の内容を詳しく見るとわかってきます。
続いて、次のような前文が掲載されています。
Jリーグ・サンフレッチェ広島の新社長に、家電量販店デオデオ社長の久保允誉氏(四八)が就任した。八億円あまりの累積赤字を抱える同球団は、新社長の下で経営再建を図ることになる。
1992年4月に設立されたサンフレッチェ広島の累積赤字は6年間で8億円余りに達し、1998年当時のサンフレッチェ広島はクラブ存続の危機にありました。
1993年にJリーグがスタートした当初、サンフレッチェ広島の観客動員数は約30万人。翌年の1994年には約38万人の観客動員を達成するも3年目の1995年の30万人を達成を最後に、観客動員数は低迷が続きます。
そして、久保会長がサンフレッチェ社長に就任する前年の1997年には観客動員数は10万4千人と過去最低の観客動員数となっています。
そのような中で、経営再建を任されたのが当時、デオデオ(現在のエディオン)社長であった久保会長です。
記事の本文は次のように始まっています。
信藤前社長の後任問題は、昨年の早い時期から筆頭株主のマツダをはじめ、広島県、広島市、地元財界、サッカー関係者の意向が複雑に絡み合い、多くの名が浮き沈みしてきた。
新聞記事の文章からは、サンフレッチェ広島の広島県や広島市、地元財界、サッカー関係者の意向が複雑に絡み合い、新社長の人選は難航を極めた、という事が伺えます。
なお、久保社長の前任者にあたる信藤 整(のぶとう おさむ)氏はマツダの元副社長を務めた人物です。サンフレッチェ広島の初代社長は元マツダ社長であり、非常にマツダ色の強いクラブチームでした。(設立の経緯を考えれば、当然なのかも知れませんが)
結局は、財界首脳の「若い人で」という意見に加え、サッカー関係者が以前から押していた久保氏に落ち着き、県や市、関係企業の協力も確約された。
久保会長が社長に就任した当時は48歳。デオデオの代表取締役社長との兼任でした。サッカー関係者の推薦を受け、広島県や広島市、関係企業(主にサンフレッチェ広島の株主と思われます)の協力も確約されたそうです。
あれから約18年になりますが、今では、広島県、広島市、地元財界の協力というのはすっかり昔話になってしまったようです。
久保氏擁立にかかわった自治体関係者は「(支援継続を)文章化し、マツダトップのサインをもらわなければ、不安を抱えたままの経営になる」と話し、支援継続や球団株式の譲渡制限などを盛り込んだ覚書の作成を狙った。
ここでの「自治体関係者」が広島県なのか広島市なのかは判然としませんが、久保社長の不安を解消するためには、マツダトップが支援継続するための「覚書」を作成することが必要という認識を持っていた、という事になります。
当時は、サンフレッチェ広島を支えたいという気持ちを強く持った自治体関係者が存在した事が伺えるとともに、当時のサンフレッチェの経営状況がいかに危機的な状況にあったか、という事が読み取れます。
記事の中では、マツダの対応が続いています。
しかしマツダのミラー社長はこれまで、「観客が少ないのは、市民が必要性を感じていないのでは」「球団が広島市民の財産となるためには、あえてマツダ以外から社長を出すべきでは」などと、疑問を投げかけ、結局、文章にサインはしなかった。
当時のマツダは「経営危機」の状況にありました。1996年にはアメリカの自動車メーカーであるフォードからの出資比率が33.4%に引き上げられ、フォード出身のミラー社長の元で経営再建に取り組んでいる真っ最中の話です。
当時のマツダはサンフレッチェ広島の経営再建どころではなかったことは容易に想像でき、ミラー社長の発言も驚くには値しません。
かといって、マツダがサンフレッチェ広島の支援を怠った訳ではありません。
それでも久保氏が就任に踏み切ったのは、6月中旬に、行政、財界関係者が同席した場で、口頭とはいえ支援継続が保証されたことにある。
久保氏のサンフレッチェ広島社長への就任は、決して積極的なものでなかったことが伺えます。
ここでの「口頭での支援継続」というのは、マツダ社長のミラー氏が口頭で「協力します」と表明したことを指しています。
なお、その当時のJリーグの状況を見てみると、1998年に横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併(横浜フリューゲルスは消滅。尚、メインスポンサーは全日空でした)、1999年にはヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)のメインスポンサーであった読売新聞社が撤退するなど、サンフレッチェ広島だけでなく、Jリーグの経営環境は非常に先行きが不透明な状況でした。
記事の見出しにも関係しますが、核心部分ともいえる箇所です。
自治体や財界首脳はこれまで「サンフレは地域に必要」と話してきた。それが建前でないならば、社長交代は地域一体となったサンフレ支援体制を、再構築する好機でもある。
少なくとも久保会長がサンフレッチェ広島の経営を引き受けた1998年の当時は、自治体や地元財界が一体となり、サンフレッチェを支える気構えがあったようです。
なお、サンフレッチェ広島は2007年には増資(第三者割当)を実施、2012年には99%の減資と増資を行っており、地元経済界及びサンフレッチェ広島の株主である広島県、広島市も財政面ではサンフレッチェ広島の経営再建に協力している事は事実です。(この増資により、エディオンがサンフレッチェ広島の筆頭株主となっています)
そして、新聞記事の最後は以下のように結ばれています。
いずれにせよ、あえて″火中のクリ”を拾った久保氏には、球団再建への手腕が期待される。
1998年(平成10年)当時、サンフレッチェ広島の社長就任は、まさに「火中の栗を拾う」ような行動であったことは間違いありません。
実際のところ、久保会長は最近のインタビューの中で、「エディオンとして約100億円をサンフレッチェ広島に投入した」と語っています。
その後、サンフレッチェ広島は2度のJ2降格を経て、2012年に初めてJリーグチャンピオンとなり、2013年、2015年と4年間で3度のJリーグ総合優勝を果たした事は、皆様も良くご存じの通りです。(現在も優勝賞金などによりかろうじて単年度収支は黒字を確保している状況です)
このJリーグ総合優勝の立役者の一人は、マツダサッカークラブからサンフレッチェ広島の選手を経て、2012年にサンフレッチェ広島の監督に就任した森保一氏である事は言うまでもありませんが、森保監督に白羽の矢を立てたのは、久保会長であると言われています。
今こそ久保会長を応援しよう!
平成28年3月3日、サンフレッチェ広島の久保会長は「ヒロシマ・ピース・メモリアル・スタジアム」案を発表しました。
旧市民球場跡地に、多目的な使用が可能なサッカースタジアムを建設し、そこから世界に向けて平和を発信しようという趣旨の案です。
収容規模は2万5千人で建設費は140億円。
資金調達方法は、toto助成金35億円、エディオン及び久保会長個人からの寄付金30億円、企業からの寄付金20億円、個人からの寄付金10億円、残る45億円は市債での調達を想定されているようです。
ところで、サンフレッチェ広島の久保会長は、東証一部上場企業エディオンの代表取締役社長でもありますが、家電量販店が再編を繰り返す中で、久保会長がエディオン社長として直接影響力を行使できる持ち株の比率は10%を割っている筈です。
更に言えば、エディオンの本社は大阪、店舗は日本全国に広がっており、サンフレッチェ広島だけを応援することが許されている訳ではありません。
そのような状況で、サンフレッチェ広島の為、そして広島の為に「ヒロシマ・ピース・メモリアル・スタジアム」案を公表する事は、経営者としてどれだけの覚悟を必要とする事でしょうか。
これは勝手な想像ですが、現在66歳となった久保会長は、(エディオンの前身である第一産業の時代から育ててもらった)「広島に対する最後の恩返し」という想いを持って「ヒロシマ・ピース・メモリアル・スタジアム」案を発表したのではないでしょうか。
久保会長はサンフレッチェ広島が苦しい時期に、「広島のため」にサンフレッチェを救ってくれました。そして、今も自らの保身を顧みず、サンフレッチェ広島のため、そして広島のために行動しています。
今こそ、サンフレッチェ広島の久保会長を応援する時ではないでしょうか。
広島の仁義を問う
今や、スタジアム建設問題は「仁義なき戦い」の様相を呈しています。
I Love Hiroshimaでは、「何が何でも旧広島市民球場跡地にスタジアムを建設すべき」と主張するつもりはありません。
しかし、広島県、広島市、広島商工会議所には、サンフレッチェ広島久保会長の案について、その「実現可能性」を真摯に検討すべき「義理」があるのではないでしょうか。
今、問われているのは「広島の仁義」です。
【参考1】仁義とは
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儒教で道徳の根本とする、仁と義。人が踏み行うべき道。転じて、義理。「―だてをする」
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やくざ仲間などで、初対面の時に行う特殊な形のあいさつ。
【参考2】サンフレッチェ広島の株主構成(2012年5月現在・サンフレッチェ広島公式HPより)
<株主名 – 持株比率>
株式会社エディオン 46.96%
マツダ株式会社 16.67%
中国電力株式会社 3.42%
株式会社広島銀行 2.99%
広島県 2.50%
広島市 2.50%
株式会社中電工 1.70%
株式会社中國新聞社 1.50%
株式会社広島マツダ 1.38%
山陽木材株式会社 1.25%
他54団体
コメント
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1サッカーファンとして今回の問題に強く関心があります。
傍から観ていて感じるのは熱意の薄さです。スタジアムに訪れたことがあるような人はマチナカスタジアムというのは商業的にも観光的にもプラス要素が強くあるのは感じているのですが、問題としてそれほどサッカーに感心のない人たちへの説得材料として空き地のイベント収益を超える要素を生み出せる数字という点のアナウンスがあまり聞こえてこないです。会長のプランは税金の投入がないにも関わらず、市民の賛同を得るムーブメントどころか無関心ぶりを感じてしまいます。
そもそもそういう要素を議論に挙げなければならないのはサンフレに対する市民の熱意が少なくともカープほどではないと傍観者としては感じてしまいます。それ故の拗れ方ですよね。サンフレッチェが広島市民に対する関心度というのはどの程度なのでしょう。
自分の最寄りのJクラブはツエーゲンではありますが、市民の関心度は5%もないんじゃないかと思います。私は金沢在住ではないので余計にそう思うかもですが。ホントに無関心なんです。
オリジナル10として優勝経験もあるサンフレッチェが20年も経ってこの程度しか熱意を持ってもらえないのはすごく危機感を感じるのです。サッカー好きから一歩離れた人から見るサンフレッチェの現状ポジションを少し教えて頂けたら嬉しいと思います。