原爆の子の像
白血病のため亡くなった女子生徒と原爆の犠牲となった子供たちのための慰霊碑です。
県外から広島を訪問する修学旅行生が必ず訪れる場所であり、広島県内の小学生は社会見学などで必ずこの場所を訪問します。
モデルは佐々木禎子さん
佐々木禎子さんは、2歳の時に爆心地から1.7キロ離れた自宅で黒い雨を浴びて被爆しました。
その後も特に健康状態には変化がありませんでしたが、10年後の小学6年生の時に白血病を発症しました。
その当時、折り鶴を折ると元気になると信じられており、クラスメイトはお見舞いに折り鶴を送るとともに、禎子自身も闘病生活のさなか、快復への願いを込め折り鶴を折りました。
しかし、健康回復の願いは叶わず、昭和30年(1955年)10月25日12歳の若さで亡くなりました。
禎子さんが入院してから亡くなるまでに折った折り鶴は1000羽とも2000羽とも言われています。
世界中から贈られた折り鶴
原爆の子の像の北側には折り鶴を飾る台が設置されており、今でも世界中から折り鶴が届けられています。
碑文
これはぼくらの叫びです 私たちの祈りです 世界に平和をきずくための
原爆の子の像地図
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