広島大本営跡

広島大本営跡地

広島大本営跡

かつて、広島が臨時首都の機能を持った時期があります。

それは日清戦争のあった明治時代の事です。明治27年(1894年)7月25日に日清戦争が始まりました。その当時、東京からの鉄道網の西端は広島であり、広島の宇品港から兵士たちは出征していきました。

広島が日本国内の兵站基地であったことから、明治27年(1894年)9月13日に大本営が広島に移り、その2日後の9月15日には明治天皇が広島に移られました。その時期、明治27年(1894年)10月に招集された第7回帝国議会は広島の西練兵場に設置された、広島臨時仮議事堂で開会されています。

明治天皇は、1895年4月17日に日清講和条約(下関条約)が調印された後、明治28年(1895年)5月30日に東京に還幸されました。その後、広島大本営は戦後処理を終えた明治29年(1896年)4月1日に解散しています。

明治天皇が後になって広島についてお詠みになられた句

たむろして  よなよな見てし 廣島の 月はその夜に かはらざるらむ

その後の広島大本営跡

大本営解散後、広島大本営があった建物は「大本営址」として保護され、大正15年(1926年)には「史蹟明治二十七八年戦役広島大本営」として国の史跡に指定されました。昭和3年(1928年)に広島城天守の一般航海が始まると、あわせて広島大本営址も一般公開がされていました。

そして、昭和20年8月6日、原子爆弾投下により爆心地から約900メートルの場所にあった建物は壊滅。

現在は土台と石碑が残るのみとなっています。

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