中世から残る港町として知られる、福山市鞆町を歩いてみました。訪問した日は小雨が降る天気で、写真は全体的に暗く映っています。
鞆城城跡公園
毛利元就の命令で築かれたというお城の跡地です。現在は資料館が建っています。
鞆城山公園に登ってみました。晴れた日には四国が見えます。
琴の名曲「春の海」は鞆から見た瀬戸内海をイメージして作曲されたとされています。
鞆城山公園からの風景です。晴れた日には、四国山脈が見えます。
鞆城山公園から大可島(たいがしま)が見えます。この大可島はかつて島であり、そこにはかつて城があり、足利尊氏の実子である足利直冬が中国探題として入城したことがあったそうです。
関町
鞆の城山公園から町に下りてみます。関町という町です。
鞆の浦関町の街並みです。この周辺もかつては城下町として賑わったことでしょう。
鞆の浦関町の街並みです。
石井町
この周辺は鞆の浦のバスセンター近くです。
鞆町にある病院を改装したカフェです。
鞆町にある食事処ニューともせんです。実は焼き肉屋さんです。
しまなみ信用金庫鞆支店です。かつては、鞆信用金庫の本店でした。
保命酒は、かつてペリーが日本に来航した際、初めて飲んだ日本酒だそうです。
保命屋さんです。看板に歴史を感じます。
桝屋清右衛門宅です。かつて、いろは丸が鞆の浦の沖で沈没した際、坂本龍馬がこの家に身を隠していたとされています。
桝屋清右衛門宅の全景です。
鞆の浦の海岸沿い
鞆の浦の海岸沿いには防波堤があり、その上を歩くことができます。
鞆の浦を象徴する弁天島、正式名は百貫島というです。
鞆シーサイドホテルはかなり目立つ大きなホテルです。
弁天島は鞆の浦のすぐ近くにある無人島です。
弁天島の背後には仙酔島(せんすいじま)があります。
対潮楼を下から見るとこのように見えます。この石垣の下は今は道路ですが、かつては海でした。
渡船場周辺
平成いろは丸は坂本龍馬の乗船、いろは丸をイメージして建造されました。
仙酔島への渡船です。その奥には高級旅館として知られる遠音近音(をちこち)があります。
別の角度からみた対潮楼です。
平成いろは丸とその向うには弁天島、仙酔島が見えます。
鞆の遠音近音(をちこち)は海のすぐそばにあります。
仙酔島への渡船場近くにあるお土産屋さんです。
保命酒屋さんの直営店だけあって、店内にはお酒が充実しています。
対潮楼
対潮楼です。かつて、朝鮮通信使の一行が訪れた際、日本で一番の景勝地と称えたられた景色です。
鞆七郷落ち遺跡
幕末に三条実美ら七人の公卿が朝廷を追放された際、立ち寄った場所です。
常夜灯周辺
常夜灯近くにある食事処です。
鞆の浦のシンボル、常夜灯です。
常夜灯のすぐ隣にはカフェがります。
常夜灯の近くには、海底から引き揚げられたいろは丸の残骸が展示されている、「いろは丸展示館」があります。
常夜灯の近くから見た鞆港の景色です。
常夜灯を少し離れたところから見たところです。
常夜灯近くからの鞆港の景色です。
鞆町の交番は古い町並みに合わせたデザインとなっています。
保命酒の酒蔵です。現在は駐車場になっています。
保命酒屋さん近くです。
このあたりの道もなかなか雰囲気があります。
保命酒醸造元岡本亀太郎本店前です。
保命酒醸造元岡本亀太郎本店の店内です。古い看板が目を引きます。
鞆の街並み
鞆の四つ角と呼ばれる小さな交差点の角には民芸品店があります。
昔は理容店だった建物で、一時はハヤシライスで有名な喫茶店でした。今は閉店しています。
町中にあるバス停もかなり古くなっています。バスの本数も少ないです。
鞆城の石垣が残っています。発掘された石垣を移築したものだそうです。
町中を走る道路は幅が狭く、車がすれ違うのはかなり大変です。
由緒ありそうなお寺です。今回は中に入らず前を通り過ぎただけです。
病院の玄関にも歴史を感じます。
鞆の浦にある数少ない食事処兼居酒屋さんです。
先ほどの七卿落ちの反対側です。左手は澤村船具店さん、右手には帆布を使った工芸品のお店があります。
町中にある船具店です。現在でも様々な船具を取り扱われています。
酒屋さんも雰囲気があります。鞆にもかつて石井酒造場という醸造所があったようです。
鞆の街角にある靴屋さんも雰囲気があります。
こちらも靴屋さんです。残念ながらお休みでした。
坂本龍馬が紀州藩と談判していたとされる町屋、旧魚屋萬蔵宅は改装されて旅館になっています。いつか宿泊してみたいと思います。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。