広島市平和記念公園レストハウス
昭和4年に建築された建物で、元は呉服屋さんだったそうです。戦時中の昭和18年に広島県燃料配給統制組合が取得し、燃料会館と呼ばれていました。 昭和20年8月6日に被爆しましたが、堅牢な建物であったため、建物は残りました。被爆当日には、37名の職員が勤務しており、たまたま地下に下りていた職員1名を除いて全員が亡くなりました。
生存者の被爆体験記
この職員さんは野村英三さんと仰る方で、原爆が投下された時の様子やその直後の様子を体験記として残されています。野村さんは、いつも机の上に準備されている筈の書類が、昭和20年8月6日に限って置かれておらず、野村英三さんが自分で地下に下りた時に原爆が投下されました。燃料会館は爆心地からわずか170mの資金距離にありますが、野村さんの体験記によれば、原爆投下直後に周辺で命があった方が8名おられたとのことです。 昭和25年(1950年)7月に書かれたとされる野村さんの体験記を是非、お読み頂きたいと思います。 野村英三さんの体験記はこちら(国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワークのサイトへ)
現在のレストハウス
その後、昭和32年(1957年)3月に広島市が買収し、1982年9月平和記念公園レストハウスとして利用されており、建物の中は観光案内所とお土産屋さんがあります。 観光案内所では広島市内の地図を無料で配布されています。お土産屋さんにはスカーフなどオリジナルグッズもあります。また、フリーWi-Fiスポットにもなっています。 現在は、外国人観光客を含めて、国内外から観光客が訪問する場所となっています。 非常に残念なことに、平成7年(1995年)には耐震構造の問題から、貴重な被爆建物であるレストハウスを取り壊すという構想が出たこともありますが、平成26年(2014年)になって、ようやく改修工事の計画が具体化しています。 原爆ドームから原爆の子の像や原爆慰霊碑に行く途中にありますので、お立ち寄りの上で昭和20年8月6日のことに想いを馳せて頂きたいと思います。 【レストハウス営業時間】 3月~7月 8:30~18:00 8月 8:30~19:00(ただし、8月5日・6日は8:30~20:00)
9月~11月 8:30~18:00 12月~2月 8:30~17:00 【レストハウスの地図】 ←元安橋へ 原爆の子の像へ→
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