動員学徒慰霊塔

動員学徒慰霊碑

動員学徒慰霊塔

動員学徒慰霊塔は原爆ドームのすぐ南側に立っています。元安川沿いの歩道からは少しだけ低い場所にあり、ともすれば通過してしまいそうな場所にありますが、原爆ドームを訪問された次にお立ち寄り頂きたい場所です。

原爆ドームから元安川沿いを歩くと左手に「動員学徒慰霊塔」の石碑があります。慰霊塔は緑に囲まれた場所にあり、少し原爆ドームの方に戻るような方向に進みます。

動員学徒慰霊塔の入口

動員学徒慰霊塔の入口

建立までの経緯経緯

動員学徒慰霊塔の建立は昭和42年(1967年)7月15日です。

「動員学徒」とは、戦時中、労働力の不足を補うため、労働に動員された学生の事で、第二次世界大戦中日本国内では約1万人の動員学徒たちが命を落としたとされています。

広島市内では、市内で建物疎開作業を行っていた生徒約6,300人に加えて、市内の各事業所に出ていた多くの学徒が原爆の犠牲者となりました。戦後、原爆や空襲などで亡くなった動員学徒の名簿作成運動がすすめられましたが動員学徒慰霊塔は、その遺族による募金によって建てられたものです。

平和の女神像

動員学徒慰霊塔の下には平和の女神像が設置されています。
平和の女神像は、3つの宗教を組み合わせた像で、顔は仏教、ベルトの部分は神道の象徴である鏡を、背中にある翼はキリスト教を表しています。

 

平和の女神像

平和の女神像(動員学徒慰霊塔の下部)

碑文

第二次世界大戦中増産協力等いわゆる勤労奉仕に動員された学徒は、全国にわたり三百数十万人。

あたら青春の光輝と、学究の本分を犠牲にしつつ挺身した者のうち、戦禍にたおれたものは一万有余人。

その六千余人は原爆死を遂げた。

この塔は明眸青雲を望み、将来空高く羽ばたこうとした夢も空しく、祖国に殉じたそれら学徒の霊を慰めようと有志同胞の手によってうち建てた。

 

動員学徒慰霊碑の後ろに設置されたレリーフ

動員学徒慰霊塔のレリーフ

動員学徒慰霊塔のレリーフ(左)

動員学徒慰霊塔の後ろの壁には4枚のレリーフが設置されています。左側が食糧増産作業の様子、右側が女子生徒の縫製作業の様子となっています。

 

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